2015年11月3日火曜日

今日の出来事

こんばんは(^-^)。

先週の事故で警察から電話番号を相手に教えていいか何度も言われてました。相手は会社で使っている車で運転手と同乗者1名でした。

事故当時、「何やってんだ、てめぇ!!」と言われ、その人と話すのか~と思うとどうしようかと思っていたのですが、運転していた人はもう一人の紳士(警察によると(^^;))だそうです。紳士といっても40~50代くらいだと思います。

保険会社を通しての話し合いになるらしいけど、向こうはバンパーをこすったらしい。
どういうことになるんだろう?

ところで先日、「ツインソウルじゃない?」と伝えた友達からいろいろ相談されました。相談されても私も格闘中なので、あまりいいアドバイスはできませんでしたけど(^^;)

でも瞑想、ちゃんと時間を取ってやってみると心が落ち着くようで、月曜日は仕事は忙しかったけど、順調というか、職場の雰囲気がよかったです。気持ちよく皆が仕事してくれるだけでうれしいです。
明日も休み明けなので、どうなるか分かりませんが(^^;)

ではまた(^^)/

エイズ治療薬を開発した満屋さん

おはよう!

今、NHKでエイズ治療薬を開発した満屋さんの番組を再放送しています。もし興味があって、時間もあったら観てみてね。

研究に参加するだけでもあんなに同僚からあんなに拒否されていたんだそうです。自分の身の危険を感じながら開発することは、その分意義があるからだろうけどなかなかできることではないです。

感動したドキュメンタリーだったので、もしよかったら...。

2015年11月1日日曜日

霊能力開発の具体的な訓練方法

霊的覚醒の具体的な訓練方法について書かれたブログを発見しました。結局は瞑想なんですね。一部分をコピペします↓



http://sp-phenomena.in.coocan.jp/part5/p5chapter3/p5c3-03.htm
3)霊能力開発の具体的な訓練方法
霊能力発現のメカニズム

霊能力が発現するメカニズムについてはすでに述べてきましたが、もう一度復習します。霊体から肉体に向けて「大量の霊的エネルギー」が流れ込むと、普段は霊的次元だけに存在している霊体の能力が、肉体次元においても発現するようになります。霊体の持つ能力(霊能力)が肉体を通して表現されるようになるのです。大量の霊的エネルギーを肉体に流すことができる身体状態が“霊能体質・霊媒体質”であり、そうした身体的特質を持った人間を「霊能体質者」と言います。

「霊能力開発訓練」の目的は、霊体と肉体のバランスを霊体の方に大きく傾けて身体次元での霊主肉従化を強力に推し進めることです。それによって潜在していた霊能力が表面化するようになります。これが霊能力開発訓練の原則であり、スピリチュアリズムの「霊能力開発理論」の根幹です。従来、宗教や神秘主義において行われてきた霊的訓練・霊的修行は、この理論によってすべて理解し解釈することができます。

霊能力現出の鉄則は、「身体次元での霊主肉従」です。その状態を確立するためには三通りの方向性があります。1つ目は――「霊体の霊的エネルギーレベルを高めること」です。それにはまず「霊」が大気中から霊的エネルギーを取り入れ、それを「霊の心」にもたらし、そこから「霊体」に流し下ろすというプロセスが必要です。「霊→霊の心(霊的意識)→霊体」という霊的エネルギーのステップ・ダウンを通して、霊体が霊的エネルギーに満たされ活性化されるようになります。そうして初めて大量の霊的エネルギーが肉体に流れ込むようになるのです。

生まれつきの霊能者の場合には、霊体の霊的エネルギーを肉体に流す経路が初めから開かれているため、「霊」からエネルギーがステップ・ダウンしてこない状態であっても霊能力を発揮することができます。しかし霊能者の素質がない者が訓練によって霊能開発を目指すケースでは、霊体のエネルギーがすぐに枯渇し、霊能力を発現させた後で、猛烈な疲労を感じたり、極端な「肉主霊従」の状態に陥るようになります。そして肉体本能が強烈になって本人を支配し、人間性に異常をきたすようになります。急に短気になって怒りっぽくなり、感情のコントロールができなくなります。また自己中心的になり、肉欲(食欲・性欲)が強くなって“本能人間化”するようになります。修験者や行者に性癖の異常な者が多いのは、こうした理由によります。

2つ目は――「肉体本能に強制的に歯止めをかけること」です。肉体本能の放縦を力づくで抑え込み、霊体と肉体の力関係を対等に保とうとすることです。これは従来の宗教における“戒律”に相当します。そして3つ目は――「肉体そのものを弱らせて、相対的に霊の力のウェイトを大きくすること」です。“肉体行”と言われるもの(断食・断睡・水行・回峰行など)がこれに当たります。

ここではそうしたさまざまな「霊能力開発訓練」の中で、霊的観点から見てスピリチュアリストに相応しい訓練方法を紹介します。

“瞑想・精神統一”が霊能力開発法の王道

古来より、多くの宗教や神秘主義では、瞑想や精神統一が重要視されてきました。それは霊能開発にとって、瞑想や精神統一が有力な手段であることが経験上知られていたからです。スピリチュアリズムにおいて「霊能力開発法」として薦めるのも、この瞑想・精神統一です。シルバーバーチは――「一日一回、少しの時間を割いて精神を統一し、霊的な力を表面に出す鍛錬をすべきだと思います」(『霊的新時代の到来』・スピリチュアリズム普及会・p235)と述べています。

先に「身体次元での霊主肉従」を確立するための三通りの方向性について述べましたが、言うまでもなく“瞑想・精神統一”は、1つ目の霊体に霊的エネルギーを注入して霊的エネルギーレベルを引き上げる方法です。瞑想は「霊の心」と「霊体」に霊的エネルギーをもたらす優れた方法の一つで、“霊能開発の王道”と言っても過言ではありません。瞑想は霊能力開発の訓練法として、最も摂理に一致した自然で無理のない方法です。瞑想が高い霊的次元において行われるとき、“霊の大海”に充満する霊的エネルギーが「霊」に取り入れられ、それが「霊の心」を活性化し、さらにステップ・ダウンして「霊体」を満たすようになります。こうして「肉体」に十分な霊的エネルギーがもたらされる条件が整うことになるのです。

どのような瞑想法・精神統一法を選んだらよいのか?

地上には、瞑想や精神統一に関するさまざまな学説・方法・技術があります。それらが目指しているのは、いずれも「身体レベルでの霊主肉従」の状態(霊体>肉体)をつくり出すことです。物質(肉体)に支配された状態を抜け出て、霊優位の身体状態へと高めることがその目的です。

では、数ある瞑想法の中から、どれを選んだらよいのでしょうか。結論を言えば、自分に合ったものならどのような瞑想法でもかまわない、ということです(*もちろん中には「霊主肉従」という肝心な目的に反するような瞑想法もありますから、そうしたものは排除します)。数種類の瞑想法を試してみて、自分に一番合っていると思うものを選択すればよいのです。また途中で瞑想法を替えてもかまいません。さらには変化をつけるために、数種類の瞑想法をローテーションしたり、適当に組み合わせるなどの工夫をしてもよいでしょう。瞑想の目的はどこまでも、物質に支配された日常意識を払拭し、非日常の霊的意識へと引き上げ高めることにあります。日常意識とは別の霊的意識状態に入り、霊的世界の霊気と触れ合うことが目的なのです。

どのような瞑想法を選ぶべきかということに、それほど神経質になる必要はありません。“自分たちの瞑想法こそが最も優れている”“霊能開発にとって一番効果的”といった宣伝文句を至るところで目にしますが、瞑想法それ自体に大きな違いはありません。ごく常識的な判断で、オーソドックスなものを選べばよいのです。霊能開発においては、どのような瞑想法を選択するのかということよりも、「瞑想を継続する」ということが重要なのです。そのうえで瞑想法の効果を高めるために次のような補助手段を上手に用いたり、瞑想の実践方法を工夫すればよいのです。

瞑想の効果を高める補助手段と、瞑想実践の工夫

瞑想法の補助手段には、呼吸法や身体運動法(ヨーガのアーサナや導引の運動など)、断食や水行、そして戒律などがあります。過食状態が続くと「肉主霊従」に陥り、霊的意識は後退するようになります。こうしたときには思い切って「短期間(1~3日)の断食」をするのが効果的です。また1週間に1日を“ミニ断食日”と決めておくのもよい方法です。「読経」も精神統一の補助手段としてよいかもしれません。また意識の高い「瞑想仲間」がいることも、強力な補助手段となります。彼らの霊的エネルギーを利用させてもらうことができるからです。また「自然界に浸ること」もよい方法で、自然界の生命エネルギーが瞑想にプラスとなります。以上のような瞑想効果を高める補助手段を試行錯誤しながら開拓して、自分のものにしていったらよいでしょう。

それと同時に、瞑想の実践方法それ自体を工夫することも大切です。例えば、瞑想の時間帯や場所を変えることなどです。「神の摂理」によって支配されている宇宙も自然界も人間も、常に移り変わるサイクルの中に存在しています。そのため人間の心身状態は、絶えず変化するようになっているのです。同じ瞑想法を実践しても、深い意識状態に入っていける時とそうでない時があるのは、そのためです。どんなにがんばっても意識を深められない時間帯がある一方で、すっと深い霊的領域の中に入っていける時間帯があります。こうした感覚は、少し瞑想を続けていけば誰にでも分かるようになります。内在していた“霊的センサー”が自然と働くようになるのです。この霊的センサーを頼りに、自分が瞑想しやすい時間帯を探していきます。一般的には、早朝や夜間などが適しています。屋内で瞑想をするときには、部屋を暗くするのがよいでしょう。「(*暗くすると)霊的感覚を鋭敏にする効果があります」(『霊性進化の道しるべ』・スピリチュアリズム普及会・p30)と、シルバーバーチも述べています。

また霊的センサーが働くようになると、瞑想にふさわしい場所とそうでない場所があることも分かるようになります。昔から霊気や気などが豊富な所とそうでない所があることが知られてきましたが、実際に霊的エネルギーの多い場所・聖別された霊気の漂う場所があって、そこでは深い瞑想が行いやすくなります。最近では“風水”が流行していますが、風水でよいと指摘する場所が、必ずしも霊的によいとは言えません。「霊的事実」に照らしてみると、風水の内容の多くは“迷信”と言ってもいいような根拠のないものばかりです。一般的には、人のあまり行かない海や川の辺(ほとり)、山や森林などは、瞑想にふさわしい場所と言えます。時には気分転換をかねて、こうした場所に出かけてみるのもよいでしょう。一人で車の中で瞑想をすることも、状況によってはとても効果的です。しかし最終的には、どこにいても短時間で深い瞑想状態に入れるようになることが理想です。

“ニセ霊能者”はよく、ある場所を示して「あの神社仏閣は霊気が高い」「あそこは心霊スポット・パワースポットだ」などと言いますが、そのほとんどは口から出まかせの“ウソ”です。

本末転倒しない――どこまでも“瞑想”がメインの手段

瞑想の効果を高める補助手段や瞑想実践の工夫としては、他にもいろいろなものがありますが、いずれも“瞑想”というメインの方法の効果を高めるためのものであることを忘れてはなりません。それはヨーガが、悟りを得るために瞑想を重視し、その瞑想の準備段階として呼吸法やアーサナ(身体運動)をもうけているのと同じです。

ところが世の中では、こうした霊的な原則を踏み外した霊能開発訓練が長い間、行われてきました。本来、補助的手段であるべき方法が、メインの訓練・修行として実践されてきたのです。“肉体行・苦行”一辺倒の修行が、まさにその代表です。肉体に痛みや苦しみを与えることが霊能開発訓練であると勘違いし、狂気じみた修行に打ち込む修験者や行者がいます。そして滝行など、肉体を死の限界にまで追い込むような訓練法・修行法が盛んに行われてきました。しかし、それらはすべて霊能開発法として邪道です。

「瞑想法を中心とし、瞑想の効果を高めるための補助手段として肉体行を付け加える」というのが正しいやり方です。これが「霊能力開発訓練(修行)」の正道です。こうした方法を実践すれば、着実に「霊主肉従」の状態をつくり出すことができるようになります。それに対し“肉体行・苦行”一辺倒の修行は、「肉主霊従」の傾向を進めることになります。間違った訓練法は魂を歪め、人間にとって一番大切な霊的成長を妨げるだけでなく、わざわざ“低級霊”を引き寄せるような結果を招いてしまいます。

わすれた!

言うの忘れました!

今日は時間を作ってくれてありがとう!
あなたとお話しできて良かったです。

また機会があったら話しましょうね。

では、今度こそまた(^^)/

最後に

「+1」してくれてありがとう!!

「なんで改めてそんな質問する?」って思いました?
私はブログで自分の気持ちを伝えているけど、あなたからは何も聞かされてないんだもん。ちょっと確かめたくなりました(^^ゞ

「+1」してくれてすごく嬉しかったです!
私もあなたのこと、大大大好きです!

ではまた(^^)/


11

そうなんだ。「医者の不養生」って言葉もあるくらいだから、ちゃんと栄養摂ってほしい。

あ~ぁ、私が料理上手だったらいいんだけど、一人暮らしが長かったからず~っとしてこなかったのです。が、最近たまに作ってます。でも他人様に出せる代物じゃないですが(>_<)

掃除は得意なんですけどね(^^ゞ

ではちょっと早いけど、最後の質問。
私のこと好きですか?

好き!→「+1」
そうでもない→何もしないでください

10

そうなんだ。改めて大変なお仕事ですね。中途半端な気持ちではできないお仕事ですね。

ごはんはちゃんと摂っていますか? カップ麺とかで済ませてませんか?

時間がない時はインスタントとかで済ませてます→「+1」
ほぼちゃんと摂ってます→何もしないでください